ゴールはどうせ醜いものさ。
ずっと同じ曲を聴いた
繰り返し繰り返し聴いているのに歌詞を全く覚えられなかった
吐き気がすごい
目が回る
あなたがおかしいんじゃない
この世の中がおかしいのよ
あなたは悪くない と言われたい
桟橋で鳴くうみねこなんて見てないし
誕生日に杏は咲かなかった
靴紐は解けていなかった ほどけていなかったんだよ
赤く燃えたつ太陽に。
羽が溶けてしまってわたしもイカロスみたいに墜落した。
もともと背中に生えた本物の羽ではなかったから。
取り繕って必死に作った、びっくりするほどなハリボテだったのかもしれない。
まだ墜落したまま。
また飛ぶには0から羽を作らないと。
それができないままいつものように過ごした。珈琲は少し苦かった。
もと居た地面はとっても冷たくて、いかに空が自由で暖かかったかを知った。
最近 大事な人たちの中から選んだ3人に同じ質問のLINEを送った。
ただのさみしがり屋で、ただぬくもりが欲しかっただけだと言われれば返す言葉がないけれど、
わたしはその質問の答えのどこかにわたしの名前があればいいなと思っていた。
求めすぎだということもわかっているけれど、
それでもそこに縋りたかった自分が居た。
それほど心がとても傷ついて、わたしは何をどうして生きていけばいいのか、そればかり考えてわからなくなって。
頭痛と動悸で眠れない昨夜だった。
3人のうち、1人だけ、その答えの中にわたしを存在させてくれた人がいた。
とても救われて、だけどやっぱりなと思っていた。
思い上がりだとかそういう類のものではなくて、優しい人だから。
人は人に救われる。いつも。
崖から突き落とすその尖った掌が人の手ならば、掬い上げるその柔らかくまぁるい手も人の手。
天気予報は雨だった。
土で育つことをやめた根は、水の中でぐんぐん伸びた。
112。
わたしが部屋にこもっている間に外の世界ではいろんなことが起きて、みんなあっという間に先に進んでゆくのだろうなと思うと、それが怖いのにどこか安堵していたことを思い出す。
もうここからでは追いつけないし、まずここから出ることがわたしはできない。
明らかに不可能なことは諦めるしかなくて、選択する余地がないことがわたしを安心させた。
だけどそれは大きな勘違いで、本当はまだ選択肢は残されていて、まだ間に合う位置にこの体はあった。
だって今更足掻いたって。
そうやって都合よく期限が過ぎたと言い聞かせて食べようとしない間に、本当に来てしまった期限切れ。
今日は大切な日だった。
どうもしてあげられない悲しみの、そのそばにただいたかったけど、一人の方がいい時が誰にだってあるんだとわかった。
流れないはずがなかった涙を思って、一年前のあの声が耳の奥で何度も響いた。
命って大切。
命って尊いものよ。
ヒバリ。
–傷つくことを恐れている間に
−飛べる翼も腐って落ちた
五階から眺めるくすんだ白色の空を見ていた。
どこかのやけに長い煙突から吹き出す煙はゆったりと左斜め上に登って、薄くなって溶けた。
わたしはいつもコンプレックスや劣等感に潰されそうになって、逃れようとすればするほどそちらに呑まれて、小さい頃に見たアニメみたいにぺしゃんこになってぺらぺらの紙みたいになって地面に落ちる。
でもまた、アニメのように ぽんっ て立体に戻って何事もなかったかのように歩き出した。
2019年は抱負のようなものを決めないと決めた。
2018年がそうして何もよくなかったし、わたしはただ2019年を生きるだけ。
歩いて壁があったら立ち止まって、分かれ道があったらその時に行きたい方に行く。
思いがけず何かを手にできたら喜んで、失えば泣く。
表立って掲げた目標を達成できない自分に打ちのめされるのがこわいことと、それに縛られて生きたくない。
わたしは自由になりたい。
本当は会いたい人に会えなかった。
2018年はくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てたい。
昨日も。
現実がここで回り出す。
今年の秋はないのかもしれないなぁって思っていた。
暑い暑い夏が身を焦がして身体は少しほっそりした。
こころは疲れてしまってげっそりしていた。
暑さに負けて逃げたくて、いろいろなものに牙を剥いていたように思う。
大きくて強い台風がやってきて、わたしは終わる命のそばにいた。
世界の中心で愛をさけぶ をどうしても思い出してしまうような状況で、長澤まさみの声が頭の中で何度も響いた。
オーストラリアに行く約束なんてしてないけど、まだ若くてかわいい命の終わりを思うといたたまれなかった。
あの映画でアキ(長澤まさみ)は言うの。
「どうしてかな、眠れないの。
明日が来るのがこわくて眠れないの。
私、もうすぐ死ぬと思う。」
明日を生きたい命があるのに、叫んで叫んで、明日を望む人がたくさんいるのに、わたしは自分から終わろうとした。
お薬をたくさん飲む行為を久しぶりにしてしまって友人と、母親と、あの人に迷惑をかけた。
とても反省していて。
だからってやり直せない、時間は戻せないんだからどうしようもないけれど。
わたしはひとりになってからとても不安定になって、時間を過ごすのが下手になった。
今は仕方がないのかもしれないけれど、だからと言って許されない事だし、本当に自分はどうしようもないなと思ってる。
胃洗浄まではせずに済んだけれど、目が覚めた時に病院でがっかりしたのも事実だった。
強い風が窓を叩く。
わたしの部屋には赤ちゃんをあやすためのオルゴール付きのぬいぐるみがあるのだけど、
そのメロディがとてもかなしいメロディなの。
どうしてだろうってずっと思ってる。
楽しかったり癒される曲調ではないの、悲しくて切なくて聴くと泣きたくなる。
悲しいから、泣き止むのかもしれない。
ぽろぽろ静かに流れる涙も、大声で泣きじゃくることも、抱えきれない感情が漏れているだけで、本当に、本当に悲しいと人は涙なんて流さないんだよね。
そうだ、そうだった。
5日かけてこの文章を書いた。
5日経っても、何も変わってなかったから、一文字も削除しなかった。
Don't leave me behind.
人のこと言えない。って、自分に対して思う時もあるし、他人に思うこともあるけれど、
でも、だからこそ言えることってあるのになってよく思う。
あんな事はしてはダメだよ
という言葉だって、してしまった人が言うと お前が言うな とか言う人がいるけど、
してしまって後悔や失敗をした人の言葉の方が根拠があるのにって。
みんなそんなに、
そんなに全うに生きてはないでしょ?
とても綺麗にまじめになんて、そんな風に生きてはいけないものでしょ?
大なり小なりどこかズルをしたり嘘をついたり、言い訳して近道をしたり、誰かよりも自分を守ったりする。
だから、人のこと言えない とか言っていると誰も誰かのこと何も言えなくなる気がするよ。
みんなそんなに全うに生きてはいない、というのがわたしのただの望みで 勘違いだったらどうしようもなくなる話なのだけど。
今日は会話の途中で特大ブーメランが返って来るというようなことがありました。
そういうネット用語のようなものはあまり好きではないけど、本当にその言葉ぴったりで、返って来たブーメランは見事にわたしの心に直撃してへし折ったのでした。
その痛みが尾を引いてなかなかしんどかった。
質素な和食の夕飯を食べて、甘栗を食べた。
あたたかくなったねぇ、あんなに寒かったことが嘘みたい。
季節は必ず巡るのに、過ぎてしまった季節の温度をわたしたちは忘れる。
一年に一度ずつ必ず体験するのに慣れることはない。
おまけに、
去年の春何を着ていたか、など、すっかり忘れてしまっていて毎年毎年、
「着る洋服がない」と繰り返す。
おかしな生き物。
潸潸。
自分ごと全部消してしまいたいと思ったのは、もうほとほと疲れてしまったことと、それほど疲れたんだと知らしめたかったから。
間違いだとわかっている道を選ばざるを得ない時だって人生あるよ。
正解だとわかりきった道を横目に見ながら無表情で歩いた。
溺れそうであっぷあっぷしていた。
気づけば2時間も経っていて、部屋はこの画面の明かりだけで。
きっといろいろなことが大丈夫だし、大丈夫にさせてくれる人はいるのに縋り方がわからないままなの、どうしたらいいと思う。
寒さはもう戻っては来ないのかなぁ。
寒の戻りが何度かあって安心していたけれど、あたたかくやわらかな季節がとうとうやって来てしまって あーあ って思ってる。
行きたいところややりたい事、欲しい物はいくつかあるんだけど、よくよく考えてみると、そう強い欲ではないから叶えないままね、時間が日々が過ぎてゆくの。
あまり深く考えずに叶えてゆけば少しはなにか変わったり、ストレスのようなものが抜けてゆくの?教えて。